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ESSAY 01 / 宇宙

宇宙人は絶対にいない

星が「あった」のではない。星のほうが多くて夜空の闇のほうが隙間だった。11歳の屋久島から始まった、僕の宇宙観の転回。

広大な藍色の宇宙に小さく浮かぶ地球。青い海と薄い大気、夜の街の灯りを、琥珀色の朝の光が包む

僕が初めて「宇宙」を感じたのは、11歳の夜だった。

父と弟と出かけた屋久島への旅。夕食のあと、父が海沿いの広場へ僕たちを連れて行った。そこで見上げた空をいまも覚えている。

星が「あった」のではない。星のほうが多くて夜空の闇のほうが隙間だった。

山の稜線がその空を黒く切り取っていた。星で埋まった空と、一切の光を持たない山。その境目は、数十年たったいまもはっきりと思い出せる。

——これだけ星があるんだから、どこかに誰かいるに決まってる。

子どもの僕は強くそう思った。大人になってからもその考えが大きく揺らぐことはなかった。

それから長い時間が経って、僕はいま、この連載の最初のタイトルにこう書いている。

宇宙人は絶対にいない。

ずいぶん強い言葉だと思う。科学がその不在を証明した、という意味ではないけど、いるに決まっていると考えていた僕が、いまは「いない」という側から宇宙を考えている。その転回をあえてこの一語で表した。

転機は2020年に読んだ一本の論文だった。

今日はその理由と、そこから何が変わったのかを書きたい。まずは、かつての僕が信じていた「いるに決まってる」から始めてみたい。

空は満員のはずだった

数字を並べる。

僕らのいる天の川銀河には、太陽のような恒星がおよそ1,000億から4,000億個あると見積もられている。その周りには、またたくさんの惑星がある。そして、この銀河さえ宇宙にある無数の銀河の一つにすぎない。NASAによる解説

暗い宇宙に、青や白、赤みを帯びた多数の銀河が、点や渦巻きの姿で広がるハッブルの深宇宙画像写真を大きく見る ↗

HUBBLE ULTRA DEEP FIELD / 2014

この小さな空の領域に、約1万個の銀河が写っている。

ろ座の一角を、2002〜2012年の紫外線・可視光・近赤外線の観測から描いた合成画像。光の点を、すべて恒星と思わないでほしい。その多くが、星を無数に抱えた銀河だ。

Credit: NASA, ESA, H. Teplitz and M. Rafelski (IPAC/Caltech), A. Koekemoer (STScI), R. Windhorst (Arizona State University), and Z. Levay (STScI)

NASA / ESA/Hubble · CC BY 4.0 · 縮小・圧縮

地球だけが特別だと考えるほうがむしろ不自然に思える。

生命が生まれる確率がどれほど低くても、これだけ多くの機会があればどこかでは起きるだろう。地球で実際に起きたのだからほかでも起きているはずだ。

地球外知的生命の探索を切り開いた天文学者フランク・ドレイクは、天の川銀河で検出可能な文明の数を見積もる「ドレイク方程式」を考案した。ドレイク自身も、一定の仮定のもとでその数を約1万と見積もっていた。SETI研究所の解説

同じ銀河に1万の文明。

あの夜、星空を見上げた僕の直感にもよくなじむ数字だ。宇宙人がいるという考えは、僕にとってほとんど常識だった。

空は満員のはずだった。

「みんな、どこにいるんだ?」

物理学者エンリコ・フェルミの問いとして知られる言葉がある。

“Where is everybody?”

——みんな、どこにいるんだ?

もし知的文明がありふれていて、その一部が長く生き延び星々へ進出しているなら、どこかにその痕跡があってもよさそうだ。

ところが空は静かだ。

少なくとも、これまでの探索で地球外の生命や文明が存在すると確かめられたわけではない。たくさんいるはずなのに、なぜ見つからないのか。この隔たりが「フェルミのパラドックス」と呼ばれている。NASA:地球外生命の探索

遠すぎるのか。文明が長続きしないのか。それとも、僕らの探し方が適切ではないのか。

考えられる説明はいくつもある。その検討は次回に譲ろうと思うが、僕が立ち止まったのはもう少し手前の問いだった。

そもそも、本当にたくさんいるのだろうか。

星の数よりも、低い確率

東京大学の戸谷友則教授が2020年に発表した「Emergence of life in an inflationary universe」。僕の見方を変えたのはこの論文だった。

生命が生まれる確率は、いったいどれほど低いのか。

「とても低い」だけでは答えにならない。ここでも数字を並べてみよう。

論文が調べたのは、RNAの材料がランダムにつながり、自己複製につながる働きを持つ分子「生命の祖」ができる過程だ。驚くべきことに、必要なRNAの長さを40塩基とした基本設定では、生命の誕生を1回期待するために、約10の39乗個の恒星が必要になるというものだった。一方、論文が観測可能な宇宙に置く恒星数は、約10の22乗個だ。戸谷論文・図1と本文

39と22。数字だけならたいした差に見えないかもしれない。だが、これは個数ではなく、桁の話だ。

その差は10の17乗倍。10京倍だ。

恒星1個あたりに直せば、生命誕生の見込みは約10の39乗分の1という目安になる。これは分子が一度ぶつかる確率ではなく、約5億年にわたる化学反応の繰り返しなども含めた、そのモデルの計算だ。

その見込みに10の22乗個の星を掛けても、期待される誕生回数は約10の17乗分の1。0.00001回にさえ、はるかに、はるかに届かない。

THOUGHT EXPERIMENT恒星数 × 生まれやすさ

星が多くても、
確率しだいで景色は変わる。

生まれやすい ←→ 生まれにくい

10の22乗個の恒星でも、期待される誕生回数は約10の17乗分の1回。1回を下回る。

実測した生命誕生確率ではなく、桁の関係を確かめるための図。初期値は戸谷論文の40塩基・基本設定を恒星1個あたりに換算した概数で、約5億年間の反応の繰り返しなどを含む。他の値は比較のための仮定。出典:戸谷(2020)図1

星の数は途方もなく多い。それでも、起きにくさのほうが桁違いに大きいということはあり得る。

ここで僕は、ようやく立ち止まった。星の数に圧倒されて、もう一方の数字を、分かったつもりになっていたことを理解した。

念の為に補足しておくと、この数字は生命の誕生確率を実測した結果ではない。RNAの長さや作られ方などに仮定を置いた一つのモデルではある。もっと効率よくRNAができる仕組みが働くなら見積もりは変わる。論文も、生命が高い頻度で生まれる可能性を排除してはいない。同論文の結論

それでも、一つのモデルとして十分に検討する価値がある仮説だ。そして、その計算が正しいとして、なぜ地球には生命がいるのか。

戸谷教授が結びつけたのは、生命の起源と、宇宙全体の大きさだった。インフレーションという宇宙初期の急膨張によって、宇宙全体が観測できる範囲よりはるかに大きいなら、その全体では極めてまれな誕生も起こり得る。

短い補足:「観測可能な宇宙」とは何か

そして僕らは、生命が生まれた場所にいるからこそ、この問いを持つことができる。これは「人間原理」と言われる考え方だが、地球に生命がいるという一例だけで、ほかの場所でも生まれやすいとは決められない。

「宇宙は広いから、ほかにも生命がいるはずだ」。

長いあいだ安心していたその一文に、初めて楔が打ち込まれた。戸谷論文の計算と、どの仮定が結果を左右するのかは、別の記事であらためて掘り下げたい。

「絶対」という言葉を選んだ理由

さて、冒頭の強い言葉に戻ろう。

ここまでの議論で、「絶対にいない」が証明されたわけではないし、観測可能な宇宙に範囲を絞ってもそこは変わらない。

また、ごく単純な生命が存在すること、文明を築く知性が存在すること、僕らと交信できることは、それぞれ別の話だ。

それでも今、僕は「いない」と考える側に立っている。観測可能な宇宙に地球以外の知的生命どころか、ごく単純な生命さえ存在しない可能性を真剣に受け止めている。

「絶対」とまで書いたのは、それほど大きな転回だったからだ。そして、その言葉で自分自身に突きつけたい問いがある。

僕らが独りだったら、この文明をどう扱うのか。

「どこかに誰かいる」という前提を一度、完全に外してみる。そのとき、星空だけでなく、地球に生きる僕ら自身の見え方まで変わってくる。

「いない」なら、あの夜の空は

ここから先は、論文の結論ではなく、それを読んだ僕自身の考えだ。

もし、地球で生まれた知性が、僕らの想像以上に希少だったら。

宇宙の成り立ちを問い、その光を美しいと感じる存在が、僕らの観測できる範囲には地球にしかいなかったら。

そして、この文明を失ったあと、その問いを引き継ぐ存在がほかにいるとは限らないのだとしたら。

僕には、とても儚く、そして恐ろしいことに思える。

星を美しいと感じること。その光がどこから来たのかを知りたくなること。自分がここにいる不思議を誰かと話すこと。

ふだんは特別とも思わない営みが、宇宙の中では途方もなく珍しいものかもしれない。宇宙の一部である僕らが宇宙を見つめ、その姿を理解しようとしている。

そう考えると、知性と意識を未来へつなぐことが、僕には責任を伴う地球人の存在理由にすら感じられる。

この問いを持つようになってから、テクノロジーやビジネスを見る目も変わった。

例えば、イーロン・マスク。2014年に掲載されたインタビューで、彼は、意識の灯を守り、それを未来へつないでいく義務が僕らにはあると語っている。生命を複数の惑星へ広げることも、人類が絶滅する事態への備えとして説明している。本人へのインタビュー

彼はビジネスを通して、地球環境の持続可能性向上(Tesla)、宇宙開発と電子知能の勃興(SpaceXとSpaceXAI)、そして人類の脳とAIの融合(Neuralink)を手がけているわけだけど、僕には、彼もまた、生命と意識を育んだ地球は類稀なる星だという宇宙観を持っていて、だからこそ、これらの事業に使命感を持って取り組んでいるように見える。おそらく彼は、気候変動対策だけのために車を売っているわけではないのだ。

地球で生まれた知性が生き延び、さらに遠くへ問いを運んでいく。そういう視点から彼の事業を見るようになると、地球という枠を超え、宇宙にまで広がる彼ならではの自意識と他意識が、僕には感じられる。自分たち人類は、この宇宙の中で何者なのか。そして、自分たち以外の存在へ、何を残せるのか。もちろん、それで彼のすべての行動を説明できるわけではないけれど、僕が彼に関心を持つ理由の一つはここにある。

そして、人類と電子知能が共に生きる未来を考えると、もう一つ問いが残る。

僕らは、何を引き継いでいくのか。

AIの能力が伸びることと、意識や感性を持つことは、同じ問いではない。知識や計算する力に加えて、僕らが未来へ残したいものは何だろう。

レイチェル・カーソンは著書『センス・オブ・ワンダー』で、世界の不思議に驚き、心を動かされる感性の大切さを描いた。『センス・オブ・ワンダー』

星空を見て立ち止まること。風や土の匂いに気づくこと。誰かと過ごす時間を、かけがえのないものに感じること。それらは、言い換えれば、世界にはすでに「普遍的な美」が溢れていることに気づくということでもある。

世界を不思議に思う心や、他者を大切にしようとする態度。それは、身体を持ち、アナログな世界で育ってきた僕らが、有限の命だからこそ持つ感覚なのかもしれない。

そして、合理性だけでは語り尽くせないこうした情動も、電子知能を生み出すほどに文明を発展させた力の一部だったのだとしたら。

そこに、僕らが未来を生きるためのヒントが隠されているように思えてならない。これが、情緒的な希望的観測に思われたとしても、AI脅威論が唱えられる今こそ、そう信じたい。

宇宙人がいるのか、それともいないのか。その問いからずいぶん遠くまできた。

でも、全部つながっているんだと思う。自分たちが何者なのかという問いが、何をつくり、どんな未来を望むのかという問いへ続いているからだ。

あの夜、父と弟と見上げた星空は、いまも僕の中にある。

子どもの頃は、その向こうに誰かがいるはずだと思っていた。いまは、その空を見上げる存在がこれからも続いていくには何が必要なのかを考えている。

この連載は、その道を一歩ずつ歩くために始めた。

次回は、フェルミのパラドックスをもう少し掘り下げる。そして、戸谷論文、グレート・フィルター、レアアース仮説など、僕自身が選んだ空が静かな理由の候補を、一つずつ検分していこうと思う。

長い旅路になるけど、お付き合いいただけたら幸いです。

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